空・殻・核 (くうからかく)

クロノスとカイロスの狭間を転がる

5.宇宙と世界、そして、精神と生命と物質

f:id:hewhomeyouit:20190204110851j:plain

宇宙と世界

「宇宙」と「世界」という似たような言葉がある。どちらもかなり広い範囲を指す言葉だ。「宇宙」の「宇」は前後・上下・左右の「空間」を表し、「宙」は過去・現在・未来の「時間」を表すという。一方、「世界」の「世」は「時間」を意味し、「界」は「空間」を意味するという。つまり、「宇宙」は空間と時間、「世界」は時間と空間を意味し、面白いことに、うまくその順序が逆転しているのだ。しかも、どちらかと言えば、「宇宙」という言葉は主として「自然科学」、特に物理学などにおいて好んで用いられ、「世界」という言葉は主として「人文科学」、特に哲学などにおいて好んで用いられる。

 

少し脱線するが、物事に対して、「一から十まで」と言うと、何から何までとか初めから終わりまでといった意味になる。それを「十」で代表させると、「十十」(二十)で「廿」、「十十十」(三十)で「世」という漢字をなす。一説によれば、なんでも中国の殷の時代には、人生三十年という感じで寿命が短かったものだから、三十年が一つの世を表す基準になったのだとか。

 

さて、前述した通り、「宇宙」と言えば「空間」と「時間」のことなので、いわゆる「時空」のことである。時空と言えば、真っ先に思い出すのが、アインシュタイン相対性理論だ。相対性理論と一口に言っても、実は1つの理論ではなくて、特殊相対性理論(1905年発表、以下特殊相対論と略す)と一般相対性理論(1915年発表、以下一般相対論と略す)の2種類がある。光と関係の深い時空の理論が「特殊相対論」の方で、重力と関係の深い曲がった時空の理論が「一般相対論」の方である。ここでは、小難しい詳しい話は脇に置いておいて、特殊相対論における相対論的関係式と呼ばれる等式を鑑賞してみる。

f:id:hewhomeyouit:20190204111255j:plain

特殊相対論的関係式

いわゆるエネルギーと運動量と質量の関係式であり、運動量と呼ばれる物理量がゼロとなるとき、エネルギーと質量は等価となるという式だ。ここで、「エネルギー」とは何かの運動を引き起こすポテンシャル(潜在能力)のようなものであり、「運動量」は物体などの運動を表す物理量であり、「質量」は物質に固有の物理量である。これは純粋に物理学における純粋な物理量同士の関係式なのだが、このエネルギー、運動量、質量というものに、精神、生命、物質という概念を当てはめてみると、結構イケてる気がする。イメージとしては、坂の上にあった「精神」と呼ばれる球体が、勢いよく転がって、坂の下の「物質」に変換されるといった感じであり、その変換を行う実体こそが「生命」だというわけだ。これはトンデモ的ではあるのだが、まんざらでもない感触があるのはなぜだろうか。

f:id:hewhomeyouit:20190204111406j:plain

精神と生命と物質の関係に対する様々な対応のイメージ