3.コロガリズムとは?
「コロガリズム」(cologarithm)という言葉がある。元々は数学用語で「余対数」のことであり、「逆数の対数」という意味だ。その辺から始めよう。
新しい言葉が慣れ親しんだ日常に舞い降りるとき、それは既存の響きおよびその意味に引き摺られる。「コロガリズム」という響きを初めて耳にしたときのイメージは何だろうか?
私は「コロガリ(転がり)」という響きからは「サイクロイド」(直線を転がる円周上の定点が描く軌跡)のイメージが立ち上がる。
ついでに、「転がり住む」という駄洒落的から「居候」のイメージまである。
以上、まとめてみると、私のコロガリズムのイメージは、次の3つだ。
イメージ1:余対数(cologarithm)……逆数の対数(logarithm)
イメージ2:サイクロイド(cycloid)…直線を転がる円周上の定点が描く軌跡
イメージ3:転がり住む ………………居候?
ここで改めて。本来の数学用語としての「コロガリズム」の意味を説明しておこう(ウィキペディア「対数」参照)。
1 でない正の実数 a および正の実数 x に対し、
を満たす実数pは唯一つ存在する。このpをxのaを底とする「対数」(logarithm:ロガリズム)と呼ぶ。つまり、対数とは、ある数xを数aの冪乗として表した場合の冪指数pのことで、
と書く。
また、逆数の対数を「余対数」(cologarithm:コロガリズム)と呼ぶ。なお、底を逆数にすると、対数の符号が反転するため、次の性質がある。
最後に、「コロガリズム」という響きを持つ言葉の、私なりのイメージから来る詩的な本質について伝えておこう。こんな感じだ。
初めての物事に触れるとき、良くも悪くも私たちはドキドキする。書店に並ぶ初めての本を手にしたとき。初めての場所に訪れ、そこの空気を吸ったとき。そして、初めての人に出会ったとき。知らないことの不安に、初めて知ることへの期待に、私たちはドキドキする。それまでうまく閉じられていたと思っていた古い自分が開き、自分の中の何かが零れ落ち、逆に、新たな何かが湧き起こり、新しい自分が生まれる。
あなたとわたしが初めてにせよ、何度目かにせよ、ふと向き合うだけで、お互いの深い深いところに潜む何かが転がり始め、交流を始めようとする。それがコロガリズム。
あなた自身もまだ気づいていない、あなたのもっと内側の奥深くにずっと流れている通奏低音。それはこの宇宙が始まったときからそこにあり、あなたが生まれたときからそこにあり、そしてあり続けているもの。そこにふれたくて、私たち人間は何かを求め、問い続け、生きている。知らないはずなのに、なぜか懐かしくて、いとおしくて、時に狂おしくて、ドキドキしながら、それにふれる。まさに、そこへの旅こそ、コロガリズムだと言いたい。